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源頼家 (摂津源氏)[みなもと の よりいえ] 源 頼家(みなもと の よりいえ、生没年不詳)は、平安時代中期(11世紀)の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる〔長兄頼国とは些か年が離れ寛弘4年(1007年)頃の出生と考えられている。〕(『尊卑分脈』)。母親は権中納言平惟仲女〔母の実父は藤原忠信で惟仲の養女となっていたとも推測される。〕。兄弟に頼国、頼基、藤原道綱室、相模らがあり、子に家盛、満綱、満家、家通、家基らがある。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。 長元8年(1035年)に蔵人に任ぜられ、兄頼国と同じく藤原頼通に近しく仕える一方、受領を歴任した。特に歌人としての活動がよく知られており、甥の頼実と共に中級貴族の歌人集団・和歌六人党の一人に数えられ、長暦2年(1038年)および長久2年(1041年)の『源大納言家歌合』や『橘義清歌合』『関白殿蔵人所歌合』『左京大夫八条山荘障子絵合』などに出詠したほか、自身でも越中守在任時に『頼家名所合』を催している。また延久4年(1072年)以前に筑前守となっている(『鎌倉遺文』157)。 陸奥守在任時の橘為仲から往年の和歌六人党で生きているのは自分と頼家だけになってしまったという内容の和歌が贈られた際に為仲は六人党の内でないといって怒ったという説話が『袋草紙』『続古事談』『十訓抄』にある。 その詠歌は『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に9首が入集している。 == 脚注 ==
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